蝙蝠の姿勢

動かず働かず

Vlogやりたい

 

 

そのうちVlog始めようかな〜と思っている。ADHD抑うつ症状持ち、でもフリーランスの仕事もちょこちょこやってるって人がどうやって生活してるか、残しておきたいし、誰かの参考になればいいな。

あと、滑稽なところを明かしていって周りに理解を求めた方が楽な気もする。

 

とりま一日中起き上がれない日のVlogから作るか…(天井とご飯と薬が交互に映るだけ)。

『異人たち』

 

『異人たち』を目黒シネマで観た。原作は山田太一で監督はアンドリュー・ヘイ。ネタバレあり。

 

 

大まかに分けて三つ感想があって、

①死生観

フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの再評価

③今を生きることと新しい音楽を聴くこと

という感じ。

 

 

①死生観について。『異人たち』の登場人物は主人公のアダム(アンドリュー・スコット)以外死者だが、その姿が幽霊かアダムの記憶の産物かは明確に言及されているわけではない。おそらく今までの思い出を生家で繰り返し再現している両親はアダムの記憶で、家の外にも出ていっているハリー(ポール・メスカル)はアダ ムとは別の自我を持つ幽霊なのかなと思う。(『異人たち』はアダムの生家とフラットが特徴的に描かれているからそこを対比させても面白そう)

物語の最後、アダムの母親(クレア・フォイ)はアダムに「ハリーのことを大切に、今より幸せになって」というような趣旨のことを言うのだが、アダムはその後、ハリーが初めて会った夜に既に死んでいたことを知る。

シックスセンス』とか、死人だったことが判明すれば成仏するのが定番と思うけど、アダムの母が示唆した通り、今後もアダムはハリーと共に生きていくんだろうなと思う。ベッドに寄り添った2人が空に浮かぶ星々の一つになって行くシーンは、アダムの家から見えたビルの灯りにも似て、2人のような関係が他にもたくさんあることを予感させる。

ハリーが幽霊であったことはあまり重大ではなくて、生ける者と死せる者には連続性があるように思えるのだ。

 

例えば、 東日本大震災の被災地でフィールドワークを行った金菱清氏はこう述べている。

 

>阪神・淡路大震災の調査でも、原爆投下後の広島や関東大震災東京大空襲でも死者が幽霊として現れたという挿話は聞かない。

理由ははっきりしないが、こうした幽霊の存在を否定しない東北の感性は、関東以西で一般的な仏教的な感覚とは明らかに異なる。

仏教では、死者は三途の川を渡って死者の国に移るのが本来のあり方であり、魂が現世に留まっているのは、この世に恨みや未練を残したまま成仏できないからで、それを不幸なことなのだと考える。冒頭の幽霊話に寄せられたネット上の感想にも、「死にきれないのでしょうね。気の毒に」と同情・共感する人が多い。

だが、それは現地の感覚とはやや異なる。東北地方では、幽霊は必ずしも否定的な存在と思われてはいないのだ。

 

なぜ、被災地で「幽霊」がたくさん出るか

#プレジデントオンライン https://president.jp/articles/-/17793

 

 

異人たちとの夏』を執筆した山田太一は東京出身で、上記のように東北地方出身ではないのだけども、『異人たち』で描かれた「現世に留まった死者が生者を支える」姿、死者の世界と生者の世界が必ずしも別れていないかのような死生観はキリスト教的でも仏教的でもなさそうだ。(もちろん、だからと言って日本的だと主張するのは早計だけども)

 

キリスト教も長い歴史の中で変わってきていて、2023年にはローマ教皇同性カップルを祝福しているが、紀元依頼の長い間、同性愛は聖書において罪だとされてきた。コリント人への第一の手紙六章の中には、正しくないものは神の国を相続することはできない、という趣旨の文章がある。

でも、ハリーは神の国にも地獄にも行かず、アダムに寄り添い続けた。このキリスト教的でないこの死生観はキリスト教から弾かれた人々に優しく寄り添う。

生者が死者によって生きることを考え直すという死を必要以上に悲観的に捉えない描写は、とても心地が良いなと思った。

 

 

フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの再評価

 

フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドをリアルタイムで聴いていない世代として、彼らを思い浮かべたときに浮かぶのはヒット曲『リラックス』と、オープンリーゲイのメンバーがいて、ボンテージを着たお兄さんたちのイメージ。あと世間的な受容においては、『リラックス』のSMシーンや、あとは大なり小なりホモフォビアも相まって「キワモノ」っぽい扱いをされてることもあるような…。という認識しかなかった。

でも、『異人たち』を見て、それが本当に一面的な見方だったんだなと思った。

地方に住むクローゼットのゲイの男の子が、ゲイであることをカミングアウトして活動しているアーティストにどれだけ支えられたか、『パワー・オブ・ラブ』の歌詞を読んで少し見ることができたような気がする。もうちょっと色々聴いてみよう。

でも息子の部屋にFGTHのポスター貼ってあったら察するだろ、両親。

 

 

③今を生きることと今の音楽を聴くこと

 

アダムは家で繰り返しフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのビデオを観ていた。遊びに行ったゲイクラブもペットショップ・ボーイズをはじめとした80年代のヒット曲がかかるし、金曜の夜にデリを食べながらハリーと観るのはトップ・オブ・ザ・ポップスだ。

幼少期時代をループするかのように、アダムは近年の曲を聴かない。両親が事故で死んだ12歳でときが止まってしまったことを示す描写だが、アダムの気持ちはちょっとわかる。だって、新しい音楽を聴くのは正直ほんと〜〜〜〜〜に疲れる。

私はかなり意識的に、なおかつ頑張って新譜を追っているのだが、結構これを余裕でできてしまう人はいて、そういう人の意見は個人的にはアテにならない。

新しい音楽を聴くのは行ったことのない場所に行くかのような緊張感がある。見たことのない風景に囲まれながら、どこへ着くのかもわからず、地図もないままに放り出されるよう。

だって聴いたことのないコード、リズム、歌詞、楽器、エフェクター、マスタリング、全部が3分の間に襲ってくる。ADHDの性質があるからか、ほんとに色んなことに気取られて疲れるのだ。聴き馴染みのある曲を繰り返し聴く方が肌馴染みのいいブランケットに囲まれるようで心地良い。

でも私は、新譜を聴きつづける。行ったことない場所、聴いたことのないものを聴くと、世界が開けるから。生きるっていうのは初めてのものに戸惑いながら、「見たことある」を増やす、そういうことなんじゃないかなと思う。

 

でも抑うつ症状が出ると真っ先に音楽が聴けなくなるんだよな。音楽を聴くって私にとっては内的な動きじゃなくて、社会とか変わるとか外に出るとか、外的な動きなのかも。

アダムが昔のヒット曲を繰り返し聴く描写は結構共感できたし、今を生きるのが本当に辛いんだろうなと伝わってくるいい描写だった。(ビデオの質感がもにょ〜っと曲がるアシッドな演出とかも結構好きだったし)

 

 

アンドリュー・スコットは本当に繊細な演技をするけど、とにかく泣き方がすごい。涙が瞳に膜を張ったと思ったら、スクリーンを分断するように垂直に雫が落ちる。

映画での泣きシーンは表情がうるさかったら演出が過度だったり結構苦手なことが多いんだけど、『異人たち』のアンドリュー・スコットはそらもう静かで、主人公が悲しさをなんとか表情に出さないようにしているのが伝わってくる。

ポール・メスカルは『アフター・サン』以来だったけど、見てるだけで涙が出てくるような俳優の位置になりかけてるのではやく『グラディエーターII』を観に行って生きてる人間であることを理解したい。

ポール・メスカルもアンドリュー・スコットも出身はアイルランドだし、アイルランドが舞台の映画も観てみたいな〜と思う。

 

バイトをクビになった

 

そんなわけで持病を理由にバイト休みまくってたらクビになりました。パワハラ上司がいるカスみたいな職場だったしやめられてラッキー!なのだけど、「クビになった」自分が情けなくて、人から必要とされてないと実感するし、なんか真面目に傷ついてしまう。

まあそもそも本当に嫌な仕事で嫌な職場で合わなかったし、それがまた憂鬱な気分に拍車をかけていたし、辞められたことは良いんだけど。

 

でも文字にしてみるとちょっと冷静になれるな、傷つくほどのことではないです。とりあえず辻褄が合ってラッキー。やったー。

今日の日記

 

 

何か不安要素を放置したまま長時間放置するのはかなり良くないことに気づいた。

 

放置するって、考えずに時間を置くってイメージだけど、これが「不安」になると、不安ってそのものが震源というか発光体というか、刺激物だから、放置しておいたところで実際はずっとわたしに影響し続けてるようだ。放置してるあいだ、脳みそに不安によるストレス信号が断続的に負荷としてかかり続けてるので、気づいたときには結構なダメージになってる。

 

人に振った仕事が長期間返ってこないとか本当に不安になるし、自分が手出しできなかったらもっと最悪だ。わたしは怒るのが本当に苦手で、不安を怒りに変換できない。だから怒らないんだけどそれは焦ってないとか気にしてないから怒らないのではなくて、怒れない、怒って嫌われたくないからなんだと思う。

 

本当、とりあえず不安をさっさと怒りに変換するか、抱え込まないようにした方がいいなと思った…。「みっともないところ見せたくない」という意地もここまで来れば本当に滑稽というかなんというか。

 

 

 

 

それが分かれば苦労しない

 

物心ついたときにはインターネットがあった。mixiはその中でも大人向けだったからやらなかったけど(知らない人とネットで知り合うなって親に口を酸っぱくして言われた)、facebookをやってみたり、YouTubeを見たり、気づいたらTwitterInstagramと色々やってきたが、長続きしなかったものといえばブログ。

多分初めてブログを始めたのは中学生のとき。なんか音楽のことを書いたら他のユーザーからキモいマウントを取られたのがムカついてやめた。

 

以降何回かnoteを書いてみたりしたけど、持ち前の飽きっぽさと手のつけようのない完璧主義によって継続は叶わなかった。このアカウントも去年作って1,2本くらい記事書いたまま放置していたのだ。

 

その割になぜかブログ始めること自体に一切飽きてないんだなあ。

 

しかし、今回は理由があってブログを再開している。

 

私は抑うつ症状をもっているのだが、現在はその揺り戻しの真っ最中。

 

この場をメモに使ったり書いていって、思ったことを消化して、忘却の手段に使いたい。逆に対処法は書いておきたい。あ、でも日記を忘却に使ってブログは対処法のメモとか外付けハードディスクにした方がいいか。要検討。

 

そんなこと考えながらお題のスロットを回したら「気分転換」と出た。

 

気分転換が下手だから割と落ち込みとかも激しい気がするけど、配信サービス、劇場問わず映画は観る。

でもこれは嫌なこと考えないための現実逃避かも。見終わった後も何か次観なきゃって焦ってるし。

 

元気だったらランニングをする。走って体が疲れるとなんか全部どうでもよくなるし。

ランニングは習慣になれば体力もつくし夜も寝られるしよいことだらけだが、でもこれが出来なくなってくるとまた自尊心が傷つくんだよな。やったらやらなかったり、とりあえず続けてる。

 

このブログもランニングみたいにやったらやらなかったり、なるべくハードル下げてゆるゆる続けたい。今度こそは。

 

気分転換かあ、それが分かったら苦労しないよね

 

 

 

お題「気分転換」